人生は芸術だ
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第28回人生は芸術だ "Life is Art" 「感性を磨こう」
Posted Date:2010/05/22(Sat) 21:21
月に一度、週末の土曜日の朝は、仙台駅前のカフェ「PRONTO」に立ち寄りコーヒータイムを持つことにしている。
高等学校が薬師堂、三神峯の両キャンパスに分かれ、男女共学となった年からなのでもう8年目になる。朝のトレーニング前のゆったりと過ごす時間は一ヶ月の自分を振り返る貴重な時間になっている。そして、日時や時間に追われる訳でもなく、月に一度の割りなので、無理なく続いている。私がよく座るテーブルで道往く人を観察していると、時の経つのを忘れてしまっている。何よりも、年に12回なので、季節の移り変わりがよく伝わり、その日、その時にしか見ることのできない空間が見られる。
そんな先日のある土曜日、学校に向かうと初代キャプテン内海弘美(現三浦)さんがグラウンドを訪ねてくれていた。10数年振りで、会ったのだが、現役時代と変わらないにこやかな笑顔で当時のなつかしいエピソード等も披露してくれ、生徒共々笑いに包まれた。聞けば、7月中旬に全国各地に住むOGに呼びかけ、大掛かりなOG会を企画していると言う。是非、実現して頂きたいものである。今から一人一人のプレーに思いを馳せ、なつかしい笑顔と再会出来ることを楽しみにしている。しかしながら、全国高等学校女子サッカー選手権大会で最多の優勝を誇るOGの面々に現役の不甲斐なさを叱責されることだけが唯一の気掛かりなのだが……。
振り返えれば、1985年創部以来、常に心掛けてきたことは、予見を持ってグラウンドに臨むことではなく、選手の日々の状況、言うなれば現場に立ち合い、問題点を考える点にあったと思う。私にとっては選手が苦心をし考えながら技術の習得に取り組んでいる姿は事件現場であった。そして意図のないプレーこそ事件そのものであると思い取り組んできた。パスは受け手へのプレゼントなのです。それには、日々のトレーニングによって身に付ける繊細なボールタッチやテクニックを磨くことが受け手への最大級の配慮だと思っている。
人間が持ちうる感性をトレーニングやゲームを通じ大切に育くんでいかなければならない。

第27回人生は芸術だ "Life is Art" 「100周年に向けて」
Posted Date:2010/05/19(Wed) 21:21
100周年に向けて(新たなステップ)
私が勤務する聖和学園は5月12日で高等学校が80周年・短期大学が60周年を迎えた。記念式典は仙台サンプラザ、レセプションが創始者の一人である伊澤家ゆかりの勝山館で開催された。式典には県、内外から多くの政財界の方々の臨席を賜り盛会裏に終了、私は学園の歴史の重みと御縁に感謝しつつ、100年(1世紀)に向けてのステップの足掛りにしたいとの、意を新たにする日でもあった。
私自身、勤務してからの推移の早さに逡巡しつつ、あっという間に37年の歳月を迎えた。学園の一宗一派に偏らない、仏教主義の教育は多くの範となる考え方を提供してくれた。必然的に目にする266文字からなる般若心経という経には7個の「空」という文字が存在する。空という文字を見るにつけ、どんなに時を経ても物事をあるがままに見るということは至難の業であると実感している。それは人間は知らず知らずのうちに、自分のカテゴリー(領域)にあるものだけを分類し、認識する習性があるからだと思われる。残念ながら、表面に映るものだけに大きく左右され、中身の判断がおろそかになっていくものなのかもしれない。時代の変化にも関わらず、昔からの単なる儀式的・形式的習慣から踏襲されているケースが数多く見受けれらる。現代は情報が氾濫して上辺のみの知識が簡単に手に入ると同時に、その事は重要なことと不必要なことの見分けが困難になることを意味し、行動を起こす優先順位欠如にもつながっている。
私が愛してやまないサッカーには多くのスタイル(考え方)が存在する。サッカーが世界中で最も愛されるスポーツなのは、自分の目でしっかり状況判断をし、的確な判断を下す能力が養われることにあるのかもしれない。
第26回 人生は芸術だ "Life is Art" 「国井's MEMO」
Posted Date:2010/05/05(Wed) 21:21
国井's MEMO(2010年5月5日21:21)
強いチームの根幹=強い個=自立した個
サッカー → プレーヤー自らの判断・決断
的確な判断・プレーの実践体力・技術・精神力 自己啓発=自発性=自主性=自己成長
自分で考えて、実践するスピードのある選手の育成が必要
判断力育成は怒らない根幹=チャレンジする自由(トライ&エラー)を認められるキャパ
↓
時間を必要とする (ゲームを読む=ゲームを支配する=プレッシャーのかかるゲーム経験を積ませる。)
ATTACKの型をつくること=早いチーム作りが可能=選手のイメージや判断力の養成が不要
※永続的な強さを作る事はカンテラを立ち上げたことにつながる。
プレッシャーの持つ本当の意味とは、それをかわすには?→多様な局面に対応できる能力
パスを出せる視野の広さがオプションの広さにつながる
1vs1の勝負で突破口を開ける選手がゲームを左右する?
答えは知っている(相手の出方) イーブンの時には有効だ
アドバンテージが生かされない状況ではゲームが破綻・対応する能力が不足する
戦術・戦略があっても本当に必要なのは個々の自立した力である。
「最初の立ち上がり5分」は全エネルギーの集約といってもいい位大切。
自分のために頑張るという基準=自分が基準でなければ、言い訳はいくらでも出来る
考えながら話すことより、話すことを考えることが同時でありたい。
イメージの共有=指導者は今の風景の話している(10m先)。でも選手には昨日の風景(10km先)の話に聞こえる
もっと違うことができる・これを試したい=思考や欲求がでてくるトレーニング
勝利を得る為には求道的になっていく
→「相手に笑顔をみせない」「先輩の言うことは必ず聞く」「私語はいけない」=(美徳となると)
対極として↓
※自分たちが楽しむためのフットボールをする
※故にスキルを高める
優れたプレーヤー=自分のスキルがある(ネタがある)→単なるテクニックではない(使えるのか?)
どのタイミングで?どのような状況で?
どんなに早いパス・正確なキックはここだというタイミングでなければ無用
スキル=知識ではない=体得した技術+判断力・実行力=総合力
知ることを得→鍛えるべきところを鍛え→やることをやってから-精神力へ行き着くことが重要
小さいミスこそ大切→どのようなフットボールをするのかは
ポゼッションの持つ本当の意味-ボールを大切にすることにはゴールという明確な目的がある
故にボールを繋ぐ
ボールを保持している限り何度でもアタックが出来る(自由なアタックの選択)
いい癖を付ける→GOOD HABIT
次の目標は1mでも2mでも敵陣に近づくこと
魂の篭った言葉 言霊(コトダマ)=言葉に思想や感情。心が込められている
「トレーニングは自分のために」=「最高のタイミングを知るために」
第25回 人生は芸術だ "Life is Art" 「59年の歳月を重ねて!」
Posted Date:2010/04/17(Sat) 19:31
59年の歳月を重ねて
桑田佳祐(サザンオールスターズ)のヒット曲にミスブランニューディという曲がある。
♪夢に見る姿の良さと美形の Blue Jean♪ 魅惑的なメロディーで始まる曲である。その一節に♪意味の無い流行の言葉と見栄の Illusion 教えられたままのしぐさに酔ってる♪ ♪しなやかと軽さをはき違えてる♪という内容の詞がある。私も大好きな曲だがこの詞は現代を風刺し、没個性への戒め、警告ととらえながら聞き入っている。
日本は民主主義の国家であるが、ややもすると「自由」とは義務と責任が伴うことであることを忘れ「勝手気ままな事」だとはき違えている事が多いように感じる。33歳の時から手探りで女子のサッカーを始め、今年で27年目を迎える。その間、色々な指導者の方々との出会い、交流があった。そのほとんどの指導者の方々が口にしてやまない2つの言葉ある。
一つは、結果を残す・勝てば良い もう一つは「観戦する人を喜ばせる」という対極にある二つの言葉である。これはそれぞれの立場で、信念となり、積み重ねがあり口にする言葉なのだと思う。正直私は、どちらが真実なのか、なかなか判断できないでいる。きっとBESTは「内容の良いゲームをして、なおかつ結果(勝利をする)を残すことなのだろう!!
問題は次のBETTERにある。一つはつまらない試合をしてまでも勝つことなのか?、もう一つは負けたとしても面白い試合をすることなのか?きっと両方正解で答えはないことなのだと思う。
そんな時、ある雑誌で読んだ詩人の谷川俊太郎さんのコメントを思い出す。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
松尾芭蕉が読んだこの句は、実はメッセージは何もないし、その意味すらないが、何かを伝えているというコメントである。
私が目指すフットボールは首尾一貫。
”ゲームを観戦してくている人々に喜んで帰ってもらう。また観に行きたいと思うフットボールをすることである!”
聖和のエレガントでファンタジーなフットボールを支えるものはきっとメッセージや意味とは別の何かを選手一人一人がピッチで表現し伝えるものだと思っている。
4月14日 21時21分

第24回 人生は芸術だ "Life is Art" 「邂逅」
Posted Date:2010/04/12(Mon) 21:21
今年は例年になく寒暖の差が激しい日が続く。
チームは9年ぶりの妻沼カップ参加のため、3月25日~3月30日迄5泊6日の日程で関東遠征(埼玉・群馬・山梨)を実施した。3月末の関東各県は、開花宣言真只中でソメイヨシノの花びらは7分咲きの様相を呈していた。初春の青空に映え渡る「色彩」と華やいだ軽やかなファッションは街を往来する人々の活気につながっていた。16度の回数を重ね、女子サッカーの春の選抜大会とも呼称されている「妻沼カップ」は全国各地から48チームが参加し、4日間に亘り熱戦を繰り広げた。春の強風雨の中での開催だったが熊谷市の方々、大会関係者各位の尽力のお陰で円滑に行われた。永い歴史を重ねる継続の御苦労に敬意を表したい。私たちのチームは7勝2敗の戦績で48チーム中第10位という戦績であった。新チームとして初めての大会であったが、理想とするゲーム内容には程遠く、課題が山積されている事を知るだけでも意義の有る大会であった。そして旧知の指導者の方々とも交流を深める事が出来、ゲームを通じ幾多のメッセージを頂けた事に感謝したい。
特に最終日、大阪桐蔭高との対戦は今後のチーム作りに非常に参考となるゲームであった。大阪桐蔭の天野監督とゲーム前に握手を交わした温もりは田崎真珠・神戸FC等多くのチームを指導歴任された頃と変わらぬ思いが伝わった。彼は海外でのサッカーにも精通しており、サッカークリニックにも「イタリアのシュート感覚に学ぶ」を掲載するなど、多岐に亘り活躍する情熱的な指導者である。
大阪桐蔭のブログはこちら→http://toin.sblo.jp/article/36861589.html
私は、ゲームの合間に利根川沿いの川辺に立ち寄り、雲雀のさえずりを聞きながら、9年間の思いを一気にかけめぐらせた。
大会後、29日には山梨県甲府市に移動。車中より約30年振りとなる甲府駅前の武田信玄翁の銅像を拝掲した。そして夜には山梨大学に在学している卒業生と会い、好人先生と至福の時を過ごした。30日は山梨大学とのゲームを終え帰仙。4月1日から本格的にシーズンに向けてのトレーニングを再開した。
道元禅師の正法眼蔵の一節に次の様な伝えがある。
「学道の人もし悟を得ても、今は至極と思うて行道をやむ事なかれ。道は無窮なり。悟りてもなお行道すべし!!」
天才は有限、努力は無限という意味。チームの部旗「栄光に近道なし」を生んだ一節である。
新入生との出会いに感謝し、チームの限りない可能性と飛躍を胸に秘める。そして立ち止まることなく一歩一歩着実に歩んで行きたいものである!!
遠征から帰仙後4月1~3日の間京都のチームと交流を行った。写真中央はそ
の時に見学に来てくれたジョンマーク氏(元U-18カメルーン代表でワールドユー
スに出場しパトリック・エムボマとプレーをした。)我がチームのトレーニングを見
て、The practice of the seiwa is a very beautiful practice. It is not a practice
for the practice. とお話してくれました。現在彼の奥さんは、京都大学へ留
学し薬学について研究しているそうだ。しばらく日本にいるとのことなので今後ト
レーニング方法について交流することとなった。
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